世界のセト・ノベルティ

スポンサードリンク

愛知県瀬戸市は、瀬戸焼千三百年の歴史を有する日本を代表する窯業地です。この瀬戸で生産されている焼き物は、食器や花瓶や茶器など、いわゆる「瀬戸物」が主流です。私たちがイメージする瀬戸の焼き物も同じものでしょう。
しかし、戦後の瀬戸窯業をけん引してきたのは、海外輸出用に生産されていた食器などの焼き物でその中で大きなウエイトを占めていたものがノベルティであったことが記録に残っています。

当時、陶磁器製の置物や装飾品などを総称して「ノベルティ(Novelty)」と呼んでいました。

ノベルティには多くの種類があり、古代人形、宗教人形、動物・鳥などの置物、キャラクターもの、スーベニア(観光地のみやげもの)、花瓶、壁掛け、化粧具、装飾性の高い食器等々で、その材質も、磁器、半磁器、白雲、ボーンチャイナなど多種多様でした。戦後、多くの日本製ノベルティが輸出され、欧米の家庭に潤いをもたらしていったのです。

ノベルティという英語には「新奇な商品」という意味があり、それまでの食器を中心とする輸出品に比べて、これらの装飾品が目新しかったために、こう呼ばれるようになったといわれています。この珍しさがノベルティとされ、ノベルティと言えばセト、焼き物と言えばノベルティという時代もあったようです。

日本で生産された焼き物(ノベルティ)のほとんどが輸出されていったことや、日本のライフスタイルの中で使用されることも極めて少なかったため、現在の日本人にとっては、逆に大変馴染みの薄いものとなったのです。このような時代背景が、瀬戸が世界でも有数なノベルティの産地にし、その作品が世界中で高く評価されることになった理由です。伝統で培われた技術と、瀬戸産の優秀な原料等を駆使して完成した作品こそ「セト・ノベルティ」なのです。

しかし、セト・ノベルティの歴史は、現代の二十世紀初頭からという短い期間で、成立・発展・衰退して行きました。


瀬戸における置物、彫像の生産の歴史は、鎌倉時代の窯跡から狛犬が出土するほどその歴史は古いのです。

特に、江戸時代に入ると、手捻りや木型・土型で、仏像や動物などの置物づくりが行われるようになり、ノベルティ製作の礎となりました。これらの置物づくりは、江戸時代後期から明治時代初頭にかけて、陶彫という新しい分野として確立されました。また、ノベルティ製作技術の基本となる石膏型は、明治6年(1873)にオーストリアのウィーンで開催された万国博覧会を契機として、日本にその技術が伝えられ、実用化されました。

特に、陶彫の分野で、その技術は引き継がれ、後にノベルティの原型を製作する技術へとつながっていくのです。明治時代中期頃には、招き猫・稲荷狐・福助・水入れ人形などが生産されて行き、やがてドイツ製の見本をもとに裸像やインドの神様などが出来、ノベルティとして多く輸出されるようになりました。このような玩具類が、セト・ノベルティの最初のものであったそうです。

セト・ノベルティについて参考文献:瀬戸市歴史民俗資料館蔵資料より、瀬戸陶磁器工業協同組合資料より